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Sクリスチャンセンター九州地区の問題

2004.2.22執筆 04.12.10、05.12.12加筆修正、06.12.22タイトル変更



このページの趣旨

 このホームページの目的のひとつは、Sクリスチャンセンターが権威主義化し個人の人生を縛り失わせている実態を明らかにして、Sクリスチャンセンター内外の被害者がこの組織を正しく評価し、彼らの脅迫的教えが実体のない偽りの言葉であったことを認識され、心の中を整理されるのを助けることです。

 Sクリスチャンセンター問題の根本は、以下の二つです。

  1. 長老・牧師の権威絶対主義
  2. 外部との没コミュニケーション(人間関係は神との関係を崩すものと考える。批判を受け入れない)

 これらが無ければ、健全な批判がなされ、今のような問題化はなかったでしょう。

(参照:Sクリスチャンセンター教理と活動)


 ここではそのために、特に九州地区独特の問題を取り上げます。執筆者仁保が、1992〜97にSクリスチャンセンター東京の神学生、同鎌倉教会の牧師、97〜99年に同北九州教会の牧師であった時に見聞きしたことを元に書いています。

 これをお読みになった方が上記以外の目的(暴露など)で、本ホームページ外へ引用されることは硬くお断りします。

 また、過去未来ともSクリスチャンセンターに無関係でおられる方にはこの文章を読むことをお勧めしません。


執筆・管理:y.niho



本文



 Sクリスチャンセンター九州沖縄地区責任長老、K氏は「Sクリスチャンセンター体制での長老権威は、イコール神の権威である」と揺るぎなく確信しています。
 彼も最初はキリスト教伝道に関して燃えた一人の若者でした。彼が健全な批判精神を持って、Sクリスチャンセンターに籍を置かず、その宣伝である
 「神に召された人が集い、神がリバイバルのために建てた教会」
という言葉に心酔せず、
 「今までの教会は神に聞き従って来なかったから、リバイバルが起きなかったが、この教会では神に聞き従ってリバイバルの器となる。」
との主張を受け入れなかったら、九州の現状はなかったはずです。

 九州の現状は以下の通りです。

・K氏と教団創設者A氏の長老権威の絶対化。

・K氏と教団創設者A氏の主張の丸飲み。

・脱会者を含め外部内部の批判の全てを否定。

・神に人生を用いてもらうために長老が語る痛み・犠牲を払う。

・神に人生を用いてもらうために長老命令への服従。

 K氏ら長老が言う、自身の権威が「絶対である」との根拠は、
 「神の声を聞く」
 「古代キリスト教会の使徒職の存在」
 「新約聖書ローマ書13:1,2など『権威』にかかわる箇所」
です。K氏らは、バランスを欠いた感情的状態に身を置いており、歴史や聖書の背景文脈を無視し曲解して、自分の使命を感じ、信じています。

 その現れとして、教会内で厳しい絶対の上下関係と、自分が監督指揮することは不可侵であることを主張します。そして、神に代わる権威が自分たち長老にあることを主張します。

 K氏は、説教で教会の実績を引き合いに「神がやったことだ。今も生きて働いている神に服従しましょう」と語ります。続いてK氏の牧師人生への「命がけの思い入れ」を述べます。それが彼の説教の柱です。「ただひたすら命がけの使命感」と「神が奇跡を行う」と確信を全面に出し、同時に「神に従わない場合の悲惨さ」を説得材料にして、脅迫的威圧感を与えます。普通の現実的感覚を持っている者にとってはナンセンスな内容ですが、人生の悩みを持ち、挫折などで新たに神への探求をしている方には引かれる内容です。
 説教の終わりは「人生の答えは神が握っています。神が人類の終末にみなさんを任命し、人類の救い(キリスト教信仰の覚醒=リバイバル)のために用います。みなさんも必ず神に召されています。」と締められます。
 時には、その言葉に続く祈りの中で、神へ献身の表明するように促され、聴衆に手を上げさせます。
 「神が見ている。これは神への決心だ。」と言い、聴衆に重く意識させます。

 K氏とA氏の目的は、彼らの語る「神のビジョン」にできるだけ多くの人を恭順させ、実務者と金銭的支援者を生むことです。そのために、聴衆の家庭生活や人間関係が壊されることがあっても、「神の働きのための犠牲」「神の働きへの悪魔の攻撃」と説教します。(参照:1−F.『悪魔・悪霊』の存在の強調

 聖書の引用は、「解釈」「適用」とはとても言えず、主張に沿う形で利用されます。
 しかし、K氏の「神の使命への命がけ決心」の発露が彼自身のものである限り、K氏が発言する場に居る人はきっぱり説教を否定できません。しかも彼の説教の場は、週に10回近くあり、献身した神学生や奉仕者はK氏の説教に浸かります。
(長崎教会で週六回の礼拝、神学校で週三本の授業、その他に祈祷会が二回以上ある。)
 そのような場で「K氏の決心や信仰」は受け入れられています。礼拝説教や神学の授業であるはずなのに、彼個人の思い入れが取って代わり、「自分と同じように神に従え」と暗に言っていることが大きな問題です。それが牧師・責任長老の権威とあいまって、多くの人を本来のキリスト教の救いである「恵み、安息、神の赦し」より、「K氏の献身の法」に引き込んでいます。K氏の長崎教会から、海外や遠い地方に牧師・宣教師・孤児院保母として人が送られています。そして、今度は彼らが「命がけの献身の法」について、各地で説教しています。

 教団トップであるA氏の説教の縛りは、Sクリスチャンセンターに参加することを脅迫的に教えることです。参加を人生や神の召しや救いの保証条件にしています。しかしK氏は、それに加えて長老の権威と主張を絶対化します。長老の言葉は神の言葉と同じであるとします。それで、真面目な聴衆は(K氏への親密度で程度の差はあるでしょうが)、長老権威に逆らった時、人生を失う恐怖に襲われます。果たしてK氏A氏が正しいからメンバーは恐れるのでしょうか? これはマインドコントロールです。

 九州の方々や全国の神学生は、純粋なリバイバルへの信仰のゆえに、K氏の権威と彼の語る「献身者像」を信じているのではないでしょうか。K氏の権威を信じているというより、K氏のあまりに確信した口ぶりによって「B長老の後ろには必ず神がいる」と信じ込まされているのではないでしょうか。

 K氏は頻繁に長崎で処刑された日本初のキリスト教殉教者26聖人を持ち出し、
「殉教者の信仰を思い、私達は死に代えても信仰を守り、召しに応える心を持ちましょう」
と語ります。
 K氏は、殉教者を信仰のために命を捨てるヒーローにして、現代の生活とキリスト教が生ぬるいとほのめかしています。伝承は殉教者の英雄的部分だけを伝えるものですが、その伝承のままのヒーロー像を信仰の模範にしています。K氏は、26聖人に加えて新約聖書使徒行伝の殉教者ステパノを引用しながら、その内面が天を見つめて揺るがなかったように語ります。それを献身のモデルのように言って、信徒にそのような献身を促します。
 K氏の言う信仰の模範は、30年位前にテレビ出てきたような忠義心と犠牲的精神のヒーローそのままで、現実離れしているのですが、K氏は「だれでも神によって現代の矛盾を解決するヒーローになれる」と聴衆を焚き付けています。これは、キリスト教に名を借りた破壊的人生の勧めです。
 また、K氏は自分の伝道への熱意を殉教者像と重ねて語り、K氏の信奉者はK氏を神への従いの見本かのように語るようになっています。

 K氏は、家族や愛する人のため、または海外宣教などでに命を捨てる場面が、あたかもすぐそこにあるかのように語ります。しかし、もしそんな場面に遭遇することがあるなら、尻込みしてしまうことの方が普通です。それは、実際問題として、冷静に判断するには必要な感覚です。しかし、そのバランスを欠くように、必要な恐怖を乗り越えさせるようなマインドコントロールが、K氏・A氏の説教によって行われています。教会に汲々とする日常では、決して本当の「命を捨てる愛」は養われないのではないでしょうか。生活と人間関係を大切にして、その中で人への愛を養う方が大切ですが、特にK氏は「生活や人間関係を犠牲にしても神を取るべきです。」と説教しています。

 キリスト教では、人の弱さを神が受け入れて助ける、と教えます。その点についてK氏は、人間の弱さを日常的弱さや悪い感情の話ではなく、伝道や奉仕の話をします。架空の「献身ヒーロー像」になりきれない時の自分に感じ入り、「皆さんもそうでしょう」と、自分の献身や伝道への思い入れの話を、全ての人の弱さや勇気や恐怖感の話にあてはめてすり替えます。そこに「神のあわれみと恵み」の話を入れます。これが、K氏の説教パターンです。彼が身内化した信奉者に見せる脈絡の無い不機嫌さは、彼の思うヒーロー像への使命感、焦り、脅迫を自らに自己満足的に課していたからではないかと見えます。

 結局K氏やA氏などSクリスチャンセンターで長老と呼ばれる上位者は、教会で扱われるべき重要で繊細な問題、個々人の弱さや罪の問題と本来そこに働くべき神の恵みを申し訳程度にしか語らず、おもに彼らの「リバイバルの幻」「献身の法と掟」の論理に照らして聖書や神の名を引用しています。

 A氏、K氏は奉仕以外の場面での自らの内面的罪の弱さを認めて語ることは全くありません。彼らにとってキリストとは本当に救い主で、神なのか疑問です。彼らと継続的に長く交流すると、「個人の救い」について純粋に分かちあうことはできなくなり、彼らはビジョンに合った犠牲的献身の話しか受け入れなくなります。彼らには大組織化の野心しか無いというのが、脱会者の一致した見方です。

 彼らは、

「神に聞き従っている以上、リバイバルがSクリスチャンセンターの体制で必ず起こる。その証拠に教会数と海外拠点が増えている。癒しが起こっている。このような教会は他に無い」
という論理で説得します。その中味として「愛よりも服従が大事」と語るのは、愛を本質とするキリストの教えと明らかに離れています。(服従することが愛だと彼らは言ってきましたが、それはまやかしです。目の前にいる痛んでいる人間を放っておいて、「それは神の訓練だ」と突き放すのが愛と教えますが、それはクリスチャンが信じる神の真実と一致しません。)
 彼らは、「人類の救い」「リバイバル」を種に、キリストを利用して勢力拡大を図っています。

 今ひとつ注目したい「からくり」は、K氏の権威は、九州では「神とA氏を代表するもの」とされていることです。K氏は決して自分の資質が長老の権威に相応しいとは言わず、謙遜して見せます。そこが彼を信用させる点の一つです。
「自分は相応しくないが、神と神を代表するA氏に立たされているから権威がある」
と言うのです。その前段にはA氏を持ち上げるために、A氏が持つ奇跡や献身のエピソードが語られます。この言い回しで、信徒が九州に居て日常では触れられないA氏が神話化され、絶対化されています。
 K氏はまた、自分は上位者であるA氏に絶対服従していると言います。そして「私はA牧師に従っています。みなさんは私に従うべきです」と暗にメッセージを送っています。しかし、A氏の東京での実態は、恣意的場当たり的な処分と指示で奉仕者を脅迫的に動かし、非人間的であることが、Sクリスチャンセンターの真実や複数の牧師夫人の手記や掲示板によって明らかになっています。K氏と彼の信奉者たちは、コントロール下の実務者(牧師や教会・団体の奉仕者)にそれを上回る犠牲を求めているのです。



本文以上。




以下の内容は、問題を整理する資料としてここに掲示するものです。



付録1.)K氏のSクリスチャンセンターに関わる経緯と関連事

 早稲田在学中キリストを受け入れる。東京高円寺のM教会に通い、そこで副牧師をしていたA氏に出会う。その後K氏はW教会の副牧師になる。

 1985年9月にW教会副牧師職より国分寺クリスチャンセンター転入会。(12月にSクリスチャンセンターに改称する。)

 1985年9月からSクリスチャンセンターではチームで短期海外宣教する訓練として、長崎に複数人ずつ「祈りのツアー」を送っていた。この中で、殉教について「神の示し」や知識が「霊的に開かれてきた」という。また、そのツアーにチームリーダーが一人決められ、統制のために『権威と秩序に従う』という言葉で、絶対服従の掟が浸透する。その掟は、教会運営の手法としても浸透していく。K氏もこれに複数回参加し、リーダーを務めていた。

 86年4月からSクリスチャンセンターのメンバー14名と共に福音派神学校へ入校。卒業せず。

 Sクリスチャンセンターで同時期から私塾的な神学校をA氏宅で始める。A氏は、預言の運用について、「新約時代の預言には誤りがあるので吟味が必要であり、教会内では権威者である牧師が最終的な吟味を決定する」という「秩序」を教え、預言の実践をしていた。しかし現在、預言の内容やA氏の「吟味力」が恣意的だった事実が次々と告発されている。Sクリスチャンセンターの真実参照)

 A牧師不在時やキャンプなどでメインの説教者として立たされていた。説教前にはいつも非常に不機嫌だったとの証言がある。(最近でも、脈絡無く突然怒り出すことで信徒や神学生が圧力を感じることがよくある。)

 88年にSクリスチャンセンターで最初に遠方の長崎へ「開拓伝道」に派遣される。初期は、本部から金銭サポートを受けつつ、生活のために新聞配達をする。

 この時、長崎への神の召しのことばとして、ヨハネ福音書15:16を受ける。(それ以来ずっと同じ聖句を握り、その約束に支えられて、奉仕しているとの'98年の本人弁。)

 暫くして、公園などで伝道をし、そこで救われた信徒が集うようになる。

 90年頃、現沖縄長老が「権威秩序の訓練」のために長崎に行きK氏の下で教会奉仕者となる。

 92年までの間に、熊本、福岡、飯塚、北九州に信徒が集まり教会ができる。

 東京から、熊本:現北海道責任長老、孤児院理事長、福岡:現沖縄責任長老、北九州にはIさん(夫人の手記が雑誌ハーザーに2004年連載されました)が派遣される。

 この時期から九州牧師会を主催、牧師に召集をかけ、月一回長崎に集めてひたすら数時間祈りをする。長崎が日本初の殉教の地であるとのことで、「霊的に殉教者の信仰を受け継ぐ」という。当初、上役のA氏に無届け・独断でこの牧師会を始めていた。

 93年頃から全国に教会ができ始め、95〜96年頃12人の長老を立て、使徒をA氏とK氏とした「アジアの使徒団」の活動を始めると宣言。各教会にカバーリング=「使徒・預言者の秩序」に入るか確認をした。

 96年にIさんが宮崎教会(開拓)へ。97年までに鹿児島・佐賀・佐世保・大分に既存の信徒の集まりをベースに教会設立。

 98年「M新聞」創刊。編集長。Sクリスチャンセンター教会員に(信仰的動機の)献金を募って資金を集め、教会名義でプールして有限会社として経営。

 99年4月全教会が「M新聞」の支局とされ、毎月無報酬で一記事以上書くことと、有料定期購読を義務化される。

 2001年「孤児院」海外宣教部門から独立させる。理事長。12月に東京都所管のNPO法人になる。Sクリスチャンセンター教会員には定期献金を募り、教会外には写真展や講演によってアピールし寄付を呼びかけているが、その一体性にも関わらず時にSクリスチャンセンターの名前を出さずにPRを行う。職員は全員Sクリスチャンセンター会員である。

 M新聞社で孤児院の写真集を出版したが、大量脱会があった2003年以降、孤児院会計で写真集を買い取らせたとの指摘がインターネットの掲示板に頻出している。

 2004年1月31日、運営が恣意的だとネット上で批判が集中している時期に、K氏A氏はM新聞社・孤児院などの関連法人の代表から退く旨発表した。2004年12月3日現在、K氏A氏は「孤児院」の理事である。責任者である理事長はSクリスチャンセンター旭川教会牧師だが、各地の報告会にはほとんど来ず、九州のK氏が全ての講演をしている。なお、事務局は今も東京五反田にある。HP中海外向けの英語文では、K氏がDirector Generalとされている。Sクリスチャンセンター内ではK氏が上位であるため、今も活動の実質的責任者であると思われる。

 全てのSクリスチャンセンター関連法人は、実質Sクリスチャンセンター責任長老会が主導する下部組織であり、K氏A氏による指導下にあると言える。SクリスチャンセンターメンバーはSクリスチャンセンターの活動の一環と考えている。

 東京にあるSクリスチャンセンター関連団体事務局の職員は、Sクリスチャンセンターの会員による無給か無給に近い奉仕によって賄っている。

(Sクリスチャンセンターの組織・目的・関連団体運営については、Sクリスチャンセンター問題の概略を参照してください。)





付録2.)B語録


■■『孤児院の子供たちは将来宣教師になる。リバイバルの礎になるから礎の石だ。』



■■『長老に従うことは神に従うこと』
『(長老が来る)聖会に、人をもっと来させないとね。』

※各教会の信徒を集めて行う”リバイバルへの流れ”と称したK氏の説教は、各教会・牧師・信徒の個性を否定する結果を招いています。(2005年は神学校でこのタイトルの説教をしている。)



■■『エルサレムの岩のドーム(マホメットが昇天した場所としてモスクになっている)で、自分が率いるグループが賛美歌(もちろんキリスト教の歌)を歌っていたら、ライフルを向けられた』
『そのモスクで(キリスト教の)神をたたえるのは、その時神に示された大事な行為だった』
〜97年以前 神学校海外宣教の授業にて。

※彼は自分だけでなく、同行者をも…下手をすれば町全体をも危険にさらす事が判っていて、確信的にやったようです。そのことを数年後に反省の弁を一言も置かず講義しました。精神論だけでは済まない状況を自ら作っていました。




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