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問題意識と提言
プロテスタント信仰において、特に守るべきものは、「信仰義認」であり、それが「人によらず聖霊による」とすることです。
ところが、最近、福音派・聖霊派の教職者の一部に、自らについて、旧約聖書の預言者的権威や新約の使徒職を主張する者が居ます。これは、神学校の牧師養成教育や牧師の肩書き、聖書・神学の知識(があるような振る舞い)が必要以上に特別視されていることがベースにあってのことです。社会性や人格に未熟さがあっても、それが吹き飛ぶような無誤無謬の存在のような期待や権威付けがされてしまいます。
預言者や使徒など神来の権威を騙る彼らは、旧約新約聖書の記述について背景や文脈を軽視して、聖書のごく短い文言を取り上げて教える傾向があります。それは、真の教会的交わりをはるかに超えた押し付けのような教え方で、文字そのものを神の言葉として現代信者に統制的に教えます。問えば本人たちは否定しますが、形而上の神像を全て把握しているかのような印象を与えています。
また、表立って自らの権威を主張せず、聖書を権威として、このような傾向の教え方をする教会も多くあります。
これらは、教会の伝道活動や清めのために、 信徒の信仰を鼓舞するためだとしても、 牧師個人の信仰の発露だとしても、 福音派神学の学問的理解を教える意図だとしても、 牧師個人の幼い発想から来るもので、許容範囲を大きく越え、人としての健全さを失っており、決して認められるものではありません。
原因は、福音派や聖霊派の教会の信徒教育において、
・教会全体で聖書そのものを神の言葉として実践することが、聖書が神の救いを伝える権威として保たれることになるという、リベラル神学に対抗する教派的立場を、重視し目的化したこと、
・信徒活動の多くを伝道目的化したこと、
・教勢拡大のため、信徒に救いの理解と伝道を性急に促し、神学の断片的知識を即席的に与え、教会維持のための献金の義務や教会奉仕などを聖書の教えとし、これらを信徒に検討を許さない形でそのまま移植しようとしたこと、
これらのような聖書・神学の適用の貧困さと、牧会の貧困さにあるのではないでしょうか。
人の福音理解は、教会生活だけではなく、一人ひとりの日常の様々な体験と共に深まるものです。その証しから、互いに学び、牧師も知らない深い理解さえ得られるものです。
教勢拡大と伝道教育と神学知識詰め込みがメインとなってしまった教会は、もはや教会ではなく人を型にはめる伝道者養成学校です。何十人何百人もの信徒個人の証しや発見が、牧師の教えに内容をすり合わせるような統制的教育に飲み込まれてしまい、すべて牧師の知識と信仰体験だけに寄りかかることになる嫌いがあります。そこで教育された年長の信徒が、牧師に頼まれもしないのに信仰的動機から教会内の交わりを統制し、生きた霊的な交わりや聖霊の教えが少ない状態がずっと繰り返えされるようになります。
この教会教育のバランスの悪さが、聖霊による信徒の自律的な真の成長を阻み、必然、教会の霊的に生きた証しが伸び悩む結果になり、伝道は進まず、その焦りによって信徒や牧師が漂流し、あろうことかカルト化問題まで引き起こします。また、この現状に便乗して漂流者を集めた確信犯的カルト教会も出現しています。
このカルト化の原因について、アッセンブリー京都教会の村上密牧師は、80年代以降の教会成長運動を上げ、教会が信徒の霊性を支配し、牧会が棚上げになったことを指摘しています。
しかし、今や、この30年の統制教育のせいで、信徒のみならず牧師までもが、牧会と支配の区別がつかない状況が見られます。どこかに決定的な教会成長の答えはないかと、国内外あちらこちらの大教会やイベントをさまよい歩いています。彼らの目的は、教えられた通りには伝道が達成できないふがいない自分を満たす、答えです。
■今、福音派・聖霊派教会が具体的に自覚し改善すべきこと
・教会の主張や教育システムが、統制的で反社会的・非人間的な部分を持つことを認め、社会性への傾きを持つことで教会や信徒が自らを客観視すること。例えば、社会から見れば、リベラルな教派は社会性があり、福音派聖霊派は原理主義的であると、このように見える枠組みについて、双方をできるだけ社会的に公平に検討し、自らの立場を社会にも通用するように客観的に説明できるようになること。
・社会性や常識や信仰が堅固でない判断力が弱い人たち(主婦や若者やクリスチャン2世)に対して教会の閉鎖的な教育の中に留めたことを認め、教会として反省し謝罪し、霊的人格的回復と成長、信仰や生活の自立を促すことを目指す。そのために、少なくとも心理学やカウンセリングの基礎は習得し、社会のあらゆる分野の実際的知識を養い、社会的常識的視点を持ち、社会的ネットワークを持って対応する。
・奉仕や献金をする信徒に、社会通念上過度となる献身的負担をやめさせ、社会や家庭の生活とバランスさせ、その中で信仰を養うことを促す。
・性急な教会成長プログラムをやめ、一人ひとりの霊的生活が充実するよう指導する。
・終末論や予定説などの救済論を、伝道の動機付け目的で使うのをやめる。
・教会の世に対する権威を、可視的教会に置かず、牧師を頂点とする権威主義への偏重を徹底して排除し、霊的な教会としての正しい権威のあり方を教える。
・個人の決断や社会生活(進路、就業、日曜日の使い方、使命として知人を教会へ誘導させる、献金)へ介入を一切やめ、上の項目の反省と客観化を十分した上で、信仰や成長に実質的に必要なものが何かを検証し見直す。そのために牧師が信徒の生活の視点に立つ。
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