私が考える「キリスト教会のカルト化」とは
2004.9.5
「キリスト教会におけるカルト化」とは、教会が独自の強調点を唯一無二の真理のように語り、教会員をその型に填めようとして、様々な方法で締め付けることだと考えます。(この強調点とは、聖書の一部の引用や伝道・信仰運動など、教会・教派によって異なる点についてです。基本的なキリスト教信仰の内容である「使徒信条」等のことではありません。)
カルト化に見る一般的な問題事は、
・締め付ける時に、信仰の名を使って不当に精神的プレッシャーをかけること。
・教職者と強調点に服した信徒が、議論や指摘を受け入れない体質があること。
強調点に服した結果このような態度に出る方々は、強調点のことを間違いのない信仰の形であるとしたり、すべての人が信ずべき「普遍的なもの」とします。
これは、この十数年の間にプロテスタント教会の一部で起きている問題です。
私は、神が与える救いは、信じる人が無条件に受け取ることができると信じます。また、各教派の教理が、各々の歴史・立場・背景で成立し、その中に真理の一端が含まれることを認めます。
教会に問題を感じる人が居る時に、信仰論争、教理論争になって裁き合うことをせずに、愛と人間性を持ってよく話し合えることが、教会の健全さの尺度だと考えます。